2年前、神戸家裁社支部の離婚調停で調停員から次のように言われました。
「やり直す気持ちはありませんか。」
離婚を諦める気持ちはないのかと言うわけです。私が丹有法律事務所を開業した頃には、地元の柏原支部の調停員も同じ発言を繰り返していました。最近は聞かなくなった発言を別の支部で久しぶりに聞いたので印象に残ったのです。
調停員のこのような発言は極めて評判の悪いものでした。信田さよ子「コントロール・ドラマ」(三五館、182頁)には次のように書かれています。
「アメリカだと離婚した女性は法律でお金や財産などが保障されますが、日本は違います。信じられないくらい長い長い調停をやって、その調停で、まず別れるのをやめろと言われます。」
「信じられないくらい長い長い調停」は今でも変わりません。裁判所の問題意識もかなり低いようです。他方で、最近は「別れるのをやめろ」とは言われなくなったと私個人の経験では感じていました。もちろん私個人の経験ですので、どこまで普遍化できるかはわかりません。本人が自分だけで調停をする場合と、弁護士がいる場合で態度が変わる調停員もいます。調停は密室で行われますので第三者の目が入りにくいという重大な問題があります。
さて、冒頭の調停員の発言に関連して、私には忘れられない経験があるので記しておきたいです。事務所を開業して間もないころ、柏原支部での調停が不成立で終わり、裁判に移行した離婚事件を受任しました。調停の段階では双方とも弁護士に依頼せず、当事者のみで手続を進めていました。裁判の場で当事者(妻)は次のように主張していました。
「調停員に無理矢理やり直しを命じられた。」「調停を続けることができなくなってしまった。」
私は柏原支部のヘビーユーザーですので、依頼者の話を聞けばどの調停員が担当であったのかはわかります。当時、私は同じ調停員が担当している別の離婚事件を依頼されていました。調停の場で調停員は例の「やり直し」発言をした後に、嬉しそうな顔して隣の調停員を見ながら次のように言ったのです。
「やり直した人がいましたね。わかりました!復縁します!と言っていましたよね。」
私はその調停の当事者がその後、どういう人生を歩んでいるのか聞かせてあげたかったです。夫からの暴行暴言に苦しみ、精神を病んだ妻は、(生き方を何一つ変えようとしない)夫とやり直すことはできず、さらに暴言を吐かれ、弁護士に相談して、調停を続けていれば発生しなかった弁護士費用を負担し、さらに長期間の裁判をし、法廷での尋問の緊張・屈辱感にも耐え、離婚までの長い長い道のりを歩んでいたのです。
冒頭の(社支部の)調停員は、私の不快そうな表情に気付いたのか、弁解するかのようにこうも言っていました。
「やり直した人もいますから聞いたのです。」
調停員のいう「やり直した人」はその後どういう人生を歩んだのでしょうか。調停員に調停後の当事者の人生を知る術はありません。「やり直した」というのは、調停の手続に期待するのを止めたに過ぎません。それでも調停員は善意で「やり直し」発言を繰り返すのです。善意とは恐ろしいものです。
私はこのブログ(https://www.tanyoulaw.jp/info/column20170207)で過去に訴えことを再び訴えたい。
「離婚調停を検討している女性に私は言いたい。「私は他人のためでなく、自分のために生きる生活をはじめたいのだ」(斎藤学「「家族」という名の孤独」(講談社、78頁))とはっきり主張して欲しい、と。」
(丹波市 弁護士 馬場民生)