面会交流とは、親権(監護権)のない親が、子どもと定期的に会うことをいいます。特に、幼い子がいる離婚事件では、面会交流の実施方法について話し合われることが大半です。
時には、そもそも面会交流自体の可否が争点になることがあります。調査官の作成した書籍でも、(面会交流の禁止について)「事案によっては、同居親や子の物理的・精神的な安定を確保することに資する場合がある。また、上記事案の中には、そのことが将来の親子関係の再構築につながる場合もある。」(家裁調査官研究紀要第27号9頁)と書かれていますから、面会交流は絶対に実施しなければならないものではありません。
面会交流の許否基準は、最終的には子の福祉・子の利益を基準として、総合的に判断して決められます。具体的には、面会交流から生じるマイナス面を検討し、それが認められ、子の健全な育成の観点から有益性よりマイナス面が明らかに大きいときは、面会交流は却下あるいは禁止されるのです。面会交流から生じるマイナス面としては、例えば次のような要素があげられています(新注釈民法(17)362頁、棚村政行教授)。
子の連れ去り
DV・暴力
虐待
父母間の紛争激化による子の精神的動揺や緊張
情緒不安定からくる学業や生活態度面への悪影響
子の安定した生活環境の破壊
子に対する暴力はわかりやすい基準です。暴行される危険を冒してまで面会交流をする必要はありません。しかしながら、面会交流が禁止された裁判例は、暴力事案に限りません。あくまでも子の福祉・子の利益を基準として総合的に判断されるものなのです
それでは裁判所はどのような判断枠組みで面会交流を禁止しているのでしょうか。裁判例から参考になりそうな事案を次のとおりまとめました。
裁判例①
裁判所 浦和家裁(審判)
判決・決定日 昭和56年9月16日
未成年者の事情 2名、年齢不詳、意思表示可
申立人(非監護者)の事情 相手方が賄賂を裁判所の誰かに送った疑いありと主張
相手方(監護者)の事情 調停後に面会を二回実施
裁判例②
裁判所 東京家裁八王子支部(審判)(備考:12歳のみ認容)
判決・決定日 平成18年1月31日
未成年者の事情 12歳(否定的感情なし)、9歳(恐怖心)、6歳(真意ははっきりしない。強い拒否感)
申立人(非監護者)の事情 離婚前は可愛がっていた。不適切な言動(子らに寂しい、相手方への電話・訪問)。激しい紛争(警察、親権者変更申立)。
相手方(監護者)の事情 面会交流に反対し協力せず。相手方の父が申立人を暴行。
裁判例③
裁判所 横浜家裁相模原支部(審判)
判決・決定日 平成18年3月9日
未成年者の事情 9歳、6歳
申立人(非監護者)の事情 無断で子と面会。未成年者誘拐容疑で逮捕。
相手方(監護者)の事情 面会交流の試行に同意
裁判例④
裁判所 仙台家裁(審判)
判決・決定日 平成27年8月7日
未成年者の事情 7歳(支援学級)
申立人(非監護者)の事情 虐待行為をやめろなどと主張
相手方(監護者)の事情 強い不信感、嫌悪感
裁判例⑤
裁判所 千葉家裁松戸支部(審判)
判決・決定日 平成31年1月30日
未成年者の事情 14歳(反対)、12歳(反対)、9歳
申立人(非監護者)の事情 母方祖母の意向を受けて申立
相手方(監護者)の事情 相手方母が申立人から暴力。相手方らと申立人及び申立人母方祖母との紛争。
まず、子の年齢は、裁判例においても比較的重視されている要素です。一定年齢以上の子については、その意思が尊重される傾向にあります。とりわけ具体的な事実に基づく(非監護者への)否定的感情であった場合には、裁判所は子の意思に沿って面会交流を禁止しています。
子の意思が尊重される年齢については、(個人差が大きいものの)10歳前後が1つの基準となっているようです。裁判例②では、12歳と9歳の子についてはその意思を判断にストレートに反映させ(12歳の面会交流は認容、9歳は却下)、他方で、6歳の子については、「年齢(6歳)からすると、意向を重視することはできない。」として、その意思を判断要素としていません。また、裁判例⑤においては、14歳と12歳の子らの意向については詳細に認定し、その意思に沿った判断がされているものの、9歳の子についてはその意向についての認定がないのです。
子の意思のほか、子が親権者の協力を得ずに面会を実施できるかも重要な判断要素です。裁判例②は父母葛藤が激しく、9歳と6歳の子については、母の協力なしに面会交流の実施が困難であることなどが、面会交流を却下する判断要素とされています。
次に、申立人(非監護者)側の事情を見てみましょう。申立人からの子への暴力がある事案では、面会交流を禁止する判断は難しくありません(最近の例では、大阪高決平成30年10月11日)。問題はそれ以外の要素の位置づけです。
暴力事案の次に、申立人がルールを守らない事案では、面会交流の禁止に判断が強く傾きます。裁判例③では、申立人が相手方に無断で子と会ったり、下校途中を待ち伏せしたりし、遂には未成年者誘拐容疑で逮捕されるに至っています。裁判所は「このような背信的な行動を重ねる相手方には今後ルールを守って事件本人らと面接交渉をしたり、事件本人らの心情や生活状況に配慮した適切な面接交渉を実施することを期待することは困難」として、面会交流を禁止しました。
申立人の子への接し方(発言)も、無視できない要素となっています。裁判例②では、「申立人は面接交渉時に未成年者らに寂しいと漏らすなど、未成年者らの心情への配慮が不十分な面があった」と指摘されています。親の心情を優先し、子の福祉を害したことが申立人への否定的な判断につながっているのです。
申立人の発言を理由として、面会交流の申立が却下された裁判例も複数あります。裁判例①では次のように強い表現で判断しており、申立人の発言が重視されていることがわかります。
「「東京家庭裁判所の調停の際、相手方が同裁判所の誰かに賄賂を送った疑いがあるとか、また当裁判所についても同様の疑いがある。」と述べているのであって、このようなことを軽々に口走る申立人が未成年者の福祉を害わずに面接できるとは到底認め難い。」
裁判例④でも、「申立人の希望どおりの面会交流をさせない相手方を「虐待者」「異常者」などと呼び、相手方の心情を慮ることなく強い言辞で非難し続けたり」したとして、面会交流を実施するための協力関係を期待できない事情として指摘しています。また、申立人のこのような発言が、子を葛藤に陥りやすい状況にするとも判断されました。
当然のことながら、裁判例②③のように、紛争を激化させることを厭わない申立人に対しては、裁判所の判断も厳しいです。
最後に、相手方(親権者)の事情はどうでしょうか。相手方の事情としては、面会交流への協力可能性が重視されています。親権者である相手方に帰責性のある行為によって、面会交流が子の福祉に反する状況になったのであれば、裁判所がその是正を求めることはありえます(裁判例①)。しかし、相手方に帰責性が認められない場合には、紛争の激化などにより、面会交流への協力が期待できないとして、面会交流は却下・禁止されているのです。
直接の面会交流が無理だとしても、写真や手紙を送付する間接的面会交流なら実施できることもあります。もっとも、間接的面会交流においても、子が非監護親に対し否定的な感情を抱く場合、あるいは、監護親(親権者)の心境を慮って手紙やプレゼントを受け取るべきか悩み、不安を感じることもあります(忠誠葛藤)。間接交流には子に苦痛をもたらし、葛藤、悩み、不安の原因となるなど子の福祉を害するおそれのある場合もあることを考慮して、間接交流を安易に直接交流の次善の策や代替物(父母間の妥協の産物)として考えるべきではないとの指摘もあるほどです(家庭と法の裁判No.28、114頁)。
裁判所の調停員さんは、「面会交流は子どもの福祉のために行うものだからね。」と口癖のように言われます。その言葉自体は間違っていないのでしょう。ただ、現実の家族のあり方はかなり多様です。個々の事件の内容を慎重に検討せずに、安易に「子の福祉」などと言い出すと、意図とは逆の結果を招くことになりかねません。幼い子どもの人生は、子どもには決められません。どのような選択が子どもにとって最善かは簡単に判断できるものではありません。子どもの尊い未来が左右されるのです。特に調停員さんの言葉は、当事者にとって重いことがあります。調停員さんは裁判所の方なのです。調停員さんを裁判官と勘違いしている当事者も少なくありません。本当に、本当に、慎重な調停進行と判断を裁判所には求めたい。
(丹波市 弁護士 馬場民生)